場所:山東省曲阜市
時代:1008年再建(元はBC1000年頃?)
種別:太廟
曲阜は春秋戦国時代、魯の国の都であった。
周公廟は、元聖廟ともいい、曲阜市の市街北方1キロ、漢代の宮殿の跡地にある。
祀られている周公は周の文王の第四子で、武王の同母弟。武王が殷朝を興したさい魯に封じられたが、周公は都に留まって武王を補佐し、長子の伯禽が魯に赴いた。
武王が建国後間もなく死去すると、幼い成王の摂政を務め殷の残存勢力による反乱を平定。
摂政は七年で終え、成王の家臣に戻った。
死後、元と諡され、魯に太廟を建てて祭られたが、魯が亡びると、太廟も廃された。
北宋の大中祥符元年(1008)に文憲王に追封され、周公廟も再興された。
往時の建物ではないため、春秋戦国時代の建築を伝えるものではない。