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中国を読む/わたしたちが孤児だったころ

カズオ・イシグロ (ハヤカワepi文庫)


上海租界の真実、そして崩壊する世界の果てに見出されるもの

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これは、「記憶」をたどる物語だ。

主人公である探偵は、幼少時代からの過去を回想し、自分と世界の関係を見つめなおす。

1900年代初頭、上海の租界で暮らしていた主人公は、両親の失踪によって10歳で孤児となり、単身イギリスに帰る。ロンドンで探偵として名声を得た彼は、両親を探し出すため、日中戦争の最中にあった1937年、上海に戻っていく。
イギリスの伝統的な探偵小説の形式を踏襲して始まる物語、しかし事件が解決されることは無く、崩壊する上海なかで真実は見失われていく。主人公の精紳は徐々に狂い始め、過去の記憶さえ狂気の世界へと暴走する。戦時下の上海はさらにコントロールの効かない現実と化し、意識も現実も真実とは思えない。

狂った記憶と狂った現実

二つの異なる狂気に対面し、読み手はいつしか何が真実かを見失い、予定調和の世界であるはずの探偵小説は見失われていく。そんな小説の最後に、読み手は何を見出すのか?

「子供時代とは、記憶と想像力で作り上げた架空の世界だ。」

とカズオ・イシグロは言う。
それは大人たちが慎重にコントロールした世界であり、現実に起こっていたこととはかけ離れている。人は大人になるにつれ、その偽りに気づくのだ。
カズオ・イシグロは長崎で生まれ、5歳のときにイギリスに渡り育った、日本生まれのイギリス人文学者である。自身の記憶が物語に反映される。

当時租界として栄えた上海は、主人公の美しき幼少時代の舞台として現れる。

丹念に手入れされた“イギリス風”の芝生、ニレの木立が投げかける午後の木陰、それから格子状の柵で囲まれたバルコニーと翼部がいっぱい突き出た巨大な白い我が家。

上海租界は、貧しい中国人居住区とはかけ離れた、擬似西洋であり擬似的な現実であった。ゆえに架空の子供時代の記憶を象徴する場としてふさわしい。さらに、7月7日に正式宣戦布告した日本軍は租界に手をつけず、戦火という現実からも切り離されていた。
しかし、安全な租界の外に広がるのは、アヘンのはびこる貧民街だ

まともな建物など無く、ただみすぼらしい小屋が互いに折り重なるように建っている。いたるところに死体が積み上げられていて、その上をハエが飛び交い、そのあたりにいる人々はそんなことをなんとも思っていない。

アヘンを売りつけ、混乱する中国を植民地化するために列強によって奪われた拠点、それが上海租界の成り立ちだ。現在の洒落た町並みに我々日本人が抱くイメージは、罪深き交易によるおぞましい富で成り立ったこの街とはおおよそかけ離れた架空のものに過ぎない。

しかし、租界の外にいた「中国人」も、「上海市民」とはいえない。その多くは戦争難民、職をもとめる農民、得体の知れない商人、外国人の融合である。ゆえに、物語の後半にむかい、崩壊し秩序を失う現実として、上海はさらにふさわしい舞台となっていく。

混乱の果てに知る両親の過去、しかしそれさえも真実かどうか定かではなく、主人公は両親を見つけることなく、失意のまま何年か後にロンドンへもどる。

最後に主人公が見出す唯一の救いは、
「母親が主人公を思う気持ちが、どんなことにも左右されずただそこにあったこと」である。
主人公は言う、

おそらくそんな心配などせずに、人生を送っていくことのできる人々もいるのだろう。しかし、私たちのようなものにとっては、消えてしまった両親の影を何年も追いかけている孤児のように世界に立ち向かうのが運命なのだ。最後まで使命を遂行しようとしながら、最善をつくすより他ないのだ。そうするまで、私たちには心の平安は許されないのだから。

しかし、物語の真実を見失い、自ら孤児となったかのような読み手は何を見出すのか?
そのヒントは、以下のカズオ・イシグロの言葉に見出せるかもしれない。

政治やモラルなどの価値観や信条が、人生のなかで未来を切り開くのを助け、導いてくれる、重要なことは正しい価値観を持つことだ。私は、多くの若者はそういうふうに考えていると思います。政治的な価値観について、夜遅くまで、眠ることなく議論をする。そこには確信がある。正しい価値観を選択すれば、よりよい人生を送ることができる。人生を正しい方向に向かって生きる機会が得られ、快く振り返ることができる。私の初期の作品はそのような感覚から出発していた。 しかし、――――いくら明確な道を歩んでも、そこには過ちがある。偶然や運にも委ねられている。だから、明確な道ではなく、森やジャングルのなかで道に迷い、方向性を見失うような、もっと混沌としてコントロールがきかない世界を描こうとした。人生や過去をコントロールすることがある種の幻想であるかのように。信条や価値観を持つのが重要であることはもちろん間違いないのですが、人が生きていくうえではもっと他の要素があり、岐路に立ったときに運や偶然が人生を決定することもある。選択した価値観のとおりに道は開かれない。

そう、我々自身が歩む現実の物語でさえも、見出されるのは真実ではなく、すべてが不確かな中で最善をつくすより他のなかった「記憶」なのかもしれない。

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by chinafish | 2006-10-11 07:28 | 中国を読む
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