角山 栄「茶の世界史」中公新書
私は中国茶がとても好きです。
といってもお茶に詳しい訳では無く、甘めのウーロン茶を飲むだけですが、中国で買った工夫茶の茶具セットが2つ、茶器の名産地と教えられた宜興の急須も中国人に頼んで買ってもらいました。
でもこの本を選んだのは、お茶の事を知りたかった訳ではなく、お茶がなぜアヘン戦争を引き起こすにまで至ったかを知りたかったからです。
日本から広まった緑茶と、中国から伝わった紅茶、2種類のお茶が世界に広まる過程を通して、世界の動きを書いたのがこの本です。
私は中国に関るまでは、恥ずかしながら「紅茶はイギリスのお茶」と思っていましたが、もともと中国茶なんですね。
さらに、紅茶と緑茶は同じ葉であり、緑茶を発酵させたものが紅茶、途中で止めたものがウーロン茶であると、この本を読んで知りました。ほんとに不勉強・・・
紅茶と緑茶がヨーロッパに知られたのは16世紀、最初は薬としてオランダが輸入を開始、そのオランダに取って替わったのがイギリスで、高級な嗜好品として貴族の間に愛好者が広まっていったとか。
当初は半々だった紅茶と緑茶の輸入量、イギリス人の口に紅茶があったため、紅茶の割合がどんどん増えていきます。そのうちイギリス庶民の飲みものとして広範に人気を呼び、毎年の一番茶にはプレミアがついたため、中国からの船が早さを競ったとか。ボジョレー・ヌーボーならぬ紅茶ヌーボーです。
中国茶を買い付けるには銀と交換するしかなく、財政が悪化したイギリスはインドのアヘンを中国に押し付けアヘン戦争となった次第。
その一方、やはり中国茶の輸入は高くつくと思ったイギリス、なんと植民地インドで茶の栽培に乗り出します。もともと茶の栽培など無かったインドですが、いろいろと工夫した末成功に至り、中国茶を押しのけ最大の産地となります。アッサム、ダージリン、ニルギリといった名前は、茶栽培を始めたインドの植民地の名前です。
一方、ヨーロッパ人の口に合わなかった緑茶、アメリカやオーストラリアに輸出したり、紅茶の栽培を日本で試みたりしますが全て失敗、輸出商品としては姿を消しますが、文化の一種としては以前から受け入れられており、茶道という「文化」として世界に広がっています。
もし緑茶がイギリス人の口に合っていたら、アヘンを売りつけられ半植民地となっていたのは日本だったのかもしれません。
なかなか読み応えのある名著でした。