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「殷」王朝の遺跡その3 殷墟

b0102720_195404.jpg場所:河南省安陽市小屯村
時代:BC1400~1100
種別:宮殿、墳墓、住居等


殷の遺跡の中で、最大かつ最も有名なのが、「殷墟」である。

殷王朝も夏王朝と同様に伝説の王朝とされていた。
しかし、遺跡(殷墟)や甲骨文字が発見され、その実在が証明された。

「殷墟」は、殷王朝後期の首都であったとされる。

一九二八年以来発掘が進められ、宮殿跡、竪穴住居跡が多数発見され、王墓とみられる
11個の大墓も見つかった。
この大墓は人・獣の殉葬をともなっている。

また、青銅器、石器、玉器、陶器、象牙製品が多数発掘されている。
甲骨文字の刻まれた亀甲・獣骨が数多く見つかった。

殷は13回遷都したとみられているが、殷墟への移動が最後の遷都であったらしい。

王朝の国号は「商」であったが、遷都した地方が殷とよばれていたことから、
国号が「殷」とも呼ばれるようになった。

それから三百年近くの間、ここはずっと、商王朝の政治、文化、経済の中心であった。

紀元前1046年、周の武王が、商の最後の帝王 紂王に勝ち、商王朝が滅亡した後
廃墟となった。

現在わかっている面積が約24平方キロ、そこに王宮、祭祀所、王陵、一般人の墓地、
甲骨・銅器等の製作所が多数分散しており、都市として成り立っていたことが推測
される。
城壁は見つかっていない。
建物の構造は推測するしかないが、版築の壁に木造屋根ではないだろうか。
青銅器等をみるかぎり、装飾に風を凝らしていたことも考えられる。

写真は、殷墟を記念して現地に建てられた博物館。
発掘された人形の表情が非常にユーモラスだ。
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by chinafish | 2005-05-31 19:03 | 中国建築

「殷」王朝の遺跡その2 鄭州商城

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場所:河南省鄭州市
時代:BC1600頃?
種別:宮殿?


現在の鄭州にある「鄭州商城」は、中国商代(商または殷と呼ばれた)の最早で最大の国都であり、中国史上初の城壁を建設した国都といわれる。
また偃師商城と基本的に同じ時代、或は前後の時代であるとされる。

7kmの長方形の巨大な城郭に囲まれ、大型建築基址や手工業工房址や墓域があったらしい。
中国の考古学関係者によると、宮城、内城、外郭城と護城壕をもつ宏大な城址で、その面積が約13平方キロに達することを確認したらしい。
そこにある城壁宮殿、手工業作業場、祭祀用穴蔵、青銅礼器、防御施設とそれに付帯する給排貯水システムは、中国の都市発展史上で、最初に造られたものに属する。

この中で規模の大きな宮殿は二つある。一つは南北の長さが38メートル、東西の幅31メートル、もうひとつは東西65メートル、南北14メートル。残された柱の穴などから復元すると、これらの建物は、回廊を持つ、二重屋根の大きな建物で、政治を行う御殿や寝殿として使われたと見られる。

鄭州商城外郭城の南側、西側は堅固な版築壁であることがわかっている。
外郭城壁の土台は、まず版築壁の下に口部が底部よりやや広い、深さ1メートル~1・8メートルの基礎槽(基礎工事で掘る穴)を掘っておき、その後に地上部分の壁体が築かれている。一方、内城は平らな土地に築かれている。

版築の基礎跡の規模および宏大な貯水池などの施設からみて、内城は当時の支配階級の主要な生活場所だった。だが外郭城内はこれと違って、手工業の作業場や墓地、祭祀坑だった。内城と城外の商代文化層は密接につながり、それらが一体のものだったことを示している。
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by chinafish | 2005-05-25 20:03 | 中国建築

「殷」王朝の遺跡その1 偃師商城

場所:河南省偃师市
時代:BC1600頃?
種別:都城
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中国最初の王朝と言われるのが、「夏」王朝。

しかし夏王朝はその実在が正式に認められているわけでは無いらしい。

いわゆる中国最初の王朝は、殷(または商とよばれる)王朝とするのが一般的である。

その商王朝初期の都とされるのが、河南省偃师市にある「偃師商城」である。

大小2つの城壁と宮城の城壁による3重の城壁で構成される。

外側城壁は、南北1700m、東西1200mで、5つの門がある。

宮城は2mの城壁で囲われ、南よりに複数の宮殿跡が密集している。

そのうちの5号宮殿は東西104メートル、南北91メートル。

いわいる囲壁城址として、外壁の侵入阻止・洪水対策の機能を持つとともに、外界や異民族と境界区分を象徴する都市として成り立っている。

すなわち、農業を営む定住民と、その富を略奪する遊牧民という構図が、中国古代城壁都市の成り立ちから見えてくる。
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by chinafish | 2005-05-24 17:44 | 中国建築

古代中国の建築技法-「版築」

b0102720_1231339.jpg版築とは、二枚の厚板を一定の間隔に開き、平行に並べその間に土を落し込みながら突き固め、堅い層を作りそれを重ねてゆく工法。

中国古来からおもに城壁を構築する際用いられた工法で、「版筑夯土」とも言われる。

版が、板を指し、夯はつき固めるという意味。
要は、ふんだんに有る黄土と人力を用いて気長に作る安価な工法。

なんと現在でも壁や地盤改良のために用いられることがある。
非常に単純な工法が、2000年以上続いている。


万里の長城の古い部分にもこの工法が用いられており、日本の神社仏閣にも用いられた例がある。
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by chinafish | 2005-05-23 12:32 | 中国建築

「夏」王朝の王宮 二里頭遺跡

b0102720_20465424.jpg場所:河南省偃師市
時代:BC1600頃?
種別:宮殿?

中国最初の王朝と言われ、司馬遷の『史記』においても実在したとされるのが、「夏」王朝。

厳密には、考古学上は証明されていないらしいが、中国社会科学院考古研究所は、

「二里頭遺跡が、紀元前1600年以前の夏王朝第1の都だ」

と発表している。

発掘された遺跡は、中庭を囲んで軸線上に配置された数棟の宮殿基礎らしい。
らしいと言うのは、1959年以来40回以上の調査が行われながら、いまだ全容解明には到ってないから。

1回の発掘が終わるたびに、埋め戻して農地として使用するらしいが、いかにも中国的と言うべきか?

復元模型も公表されているが、建物上部の形状はおそらく根拠のないものだろう。

はっきりわかるのは、方形・対称軸といった城址の構造が見られること。
さらに基礎は、夯土(版築=はんちく)と呼ばれる伝統的な工法ということである。
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by chinafish | 2005-05-22 20:50 | 中国建築