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秦の始皇帝陵と兵馬俑坑

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場所:陜西省西安市
時代:BC3世紀頃
種別:陵墓

世界遺産に登録されている秦の始皇帝陵と兵馬俑坑は、陜西省西安市の東35kmの臨潼県にあり、中国史上初めての多民族封建国家における皇帝陵墓である。
秦の始皇帝は、強大な権力を誇示した土木工事を好み、首都咸陽の大拡張工事、美女を三千人集めたという阿房宮や万里の長城の建設などに国力を傾注した。
これらが財政に負担をかけたことが、秦の崩壊の理由のひとつであると推測される。
なかでも驪山(りざん)の麓に造営した巨大な陵墓のためには、エジプトクフ王のピラミッドより8年長い38年間と、8倍の労働者である80余万人を費やした。
建設が終わると、秘密保持のため大量に生き埋めの刑にしたといわれる。
始皇帝陵は、陸園と埋葬区の二つに分かれており、陸園は四角錘型で、内外壁二重構造の四隅に楼を配する。
埋葬区にあたるのが、「品」の形に三つに分かれた兵馬俑坑である。

兵馬俑坑

 兵馬俑坑は、秦の始皇帝陵の東に1.5kmのところにあり、1974年、農民が井戸を掘る時に偶然発見したものである。
「俑」とは、死者とともに埋葬された土偶のこと。秦の始皇帝が、死後の自分に仕える「軍隊」として、これらの兵士や馬車を作らせたのである。
俑坑は全部で3つあり、そのうち1号坑の面積は14,260m2もあり、その中に実物大の陶俑と陶馬約6,000体が埋められてあり、いままでに武士俑1,000余体、戦車8両、陶馬32匹が出土した。
兵馬俑は表情も一体一体で全て異なり、武器を手にしたものもいる。

兵馬俑坑は、現在発掘され公開されているところのみならず、その周辺にも大量の未発掘の部分があるが、発掘と同時に土偶の表面に塗られた色彩が消えることなどの理由から、発掘がなされていない。

始皇帝陵

兵馬俑そのものは墓ではない。始皇帝の墓「始皇帝陵」は、兵馬俑から1.5キロメートルほど離れたところにあるが、まだ発掘調査がされていない。
中国の研究体制が整っていなかったということもあるようだが、司馬遷の「史記」に書いてあることが本当ならば、この墓、うかつに掘り返せないすごい墓なのである。
始皇帝陵の土台の部分は四角形に近い形をし、斗をかぶせた格好で、土をつき固めて築造した。陵の高さは76mもあったが、いまはその跡しか残っていない。陵墓の地下宮殿の真中は秦の始皇帝の柩を納めるところである。陵墓の周りには副葬墓などの墓が400以上あり、その面積は55.25km2もある。
司馬遷の史記によれば、秦始皇帝の地下宮殿は、

・地下に銅板を敷いて、宮殿や楼閣を築いた
・自動発射の弓を置いて、忍び込もうとする者を射殺した
・水銀を流して河や海をかたどった。
・天井には、宝石で描かれた星がまたたいていた。

長い間これは伝説とされてきたが、2003年11月、最新の科学技術を駆使した調査により、実際始皇帝陵の中に宮殿のような空間があること、水銀の反応があることなどが確認された。
史記によると、始皇帝陵は項羽によって盗掘がなされ埋まっていた財宝を30万人の兵士が30日掛かって奪い、その後火を放ち90日間燃え続けていたと記されている。
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by chinafish | 2005-06-03 17:00 | 中国建築
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