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中国を読む6/100-はじめて上海に住んだ日本人

春名 徹「にっぽん音吉漂流記」中公文庫
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「音吉」は、日本が鎖国状態だった19世紀、外国へ渡航した日本人などほとんどいなかった時代に、図らずも世界を一周してしまった船乗りさんです。

漂流民と言えば「ジョン万次郎」が有名ですが、音吉はとうとう帰国の適わなかった漂流民で、始まりは僅か14歳の時、見習船員として1832年宝順丸に乗り尾張を出発、船はなんと北アメリカまで14ヶ月も漂流、その後南アメリカを回りロンドンへ送られます。

ロンドンからマカオへ送られ、そこで聖書の日本語訳に協力しました。最初の日本語聖書の翻訳者だったわけです。14歳で船乗りと言えばたいした教育は受けていなかったでしょう、ちなみに翻訳はこんな感じ・・
「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル、コノカシコイモノハゴクラク」

全文カタカナだそうです。

それからアメリカ船に乗りマカオから日本へ帰ろうとしますが、当時鎖国政策を敷いていた日本は大騒ぎとなり、砲撃を受け帰国を断念、しばらく上海バンドにあったデント商会に勤めています。いまとは違う外滩の風景を毎日眺めていたわけですね。

ペリーが来航したのは1853年、安政の開国の後、徳川幕府最初の海外派遣船である千歳丸が、1862年に上海を訪れていますが、音吉はそれ以前に上海に住んだ最初の日本人でした。

音吉は、上海でマレーシア人と結婚、三人の子供を持ちそこそこ資産も持っていたようですが、ちょうどそのころ、上海は太平天国の乱で攻撃を受けています。

その後、日本を訪れたイギリス船の通訳をしたり、最後はマレーシア人の妻とともにシンガポールへ、そこでヨーロッパ視察へ行く福沢諭吉と会っています。

そのシンガポールで50歳で亡くなりましたが、終生日本への帰国を願っていた父の遺志を果たすべく、息子さんは来日し、日本で生活したそうです。

また、音吉の出身地である愛知県知多郡美浜町には音吉の墓があり、最近シンガポールから位牌を持ち帰って埋葬したそうですが、真偽は定かではありません。

それにしても波乱万丈の人生とはこういうことを言うのでしょうか?
中国語の教材など何もない時代、教育のない音吉さん、上海でどうやって中国語を身につけたのでしょうか?そんな中、家族を持ち資産家となった逞しさに対し、驚きといささかの羨望を抱くのは私だけでしょうか?音吉みたいな人に会って話をしてみたいと思いますが、今の時代では無理なのでしょうね。
by chinafish | 2007-02-01 07:44 | 中国を読む