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我的春節


郭さん你好!

今日は初八

いよいよ正月休みも明けましたね。
いえもちろん私は日本人在日本なので、関係ありません。

でも、日本にいながら一緒になにかと春節気分を楽しめるのは、“中国語を勉強する人の特権”だと思います。

「我的春節」と言っても、休んで誰かとお祝いするわけにもいきませんが、郭さんが送ってくれた「贺岁片(お正月映画)」のVCDを順番に楽しく見ています。


「伤城」、なかなか良かったです。

ちょっと荒っぽい作りですが、香港ノワールの伝統のおかげでしょうか、最後まで飽きずに魅せます。金城武、時に過剰ですが、随分演技が上手くなりました。
痩せたトニー・レオンと徐静蕾が抑えた演技をしているので、うまくバランスが取れていたように思います。舒淇も良いですね。金城武と何とか合ってます。

『インファナル・アフェア』に似ているなあと思ったら、同じアンドリュー・ラウ監督だったんですね。北京語のVCDだったので、何とか理解できました。謝謝、謝謝!

「墨攻」、ちょっと??途中で寝てしまったので、体調のよい時に再挑戦します。

一番楽しみだった「黄金甲」、タイ語の「盗盤」でした。残念!!!

ダントツで良かったのは、意外にも「落叶归根」 、趙本山主演のいかにも「贺岁片」らしい筋書きでしたが、とっても良かったです。

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50才を過ぎた農民の趙本山が、都会に出稼ぎに出たが、そこで友人老王が急死してしまい、「落葉帰根」=(故郷に帰る)との約束を果たす為、死体をはるか故郷まで必死に運ぶ話。
実話を元に作ったそうですね。

でも、ブラックユーモアの映画なんて、中国では珍しいのではないですか?
今の中国社会の風刺有り、笑い有り、感動あり、魅力的な役者さんも満載で、大きなスクリーンで見たかったです。

タイトルの”落葉帰根”は、人間が年老いて昔を懐かしみ、生まれ育った故郷に帰りたくなるという自然の成り行きを落ち葉に例えた言葉だそうですね。
映画を見終わって、この言葉が本当に心に染みました。

趙本山の演技がとても上手くて、好きな場面が一杯ですが、特に走るトラック上に乗った老趙が、タイタニック張りに両手を広げて風を受け、
如果我的家乡是一条大路
我就是一辆汽车 我跑啊跑
我 多快乐!
如果我的家乡是一棵大树
我就是一片树叶 我摇啊摇
我 多快乐!
啊 我多快乐!

と叫ぶ場面、
そして二人羽織で歌う場面、ほろっとさせられました。

監督は、『こころの湯』や『『胡同のひまわり』で有名な中国のニュージェネレーション、張楊(チャン・ヤン)監督ですね。
なんとか日本でも公開してほしいものです。

VCDと一緒に、郭さんが送ってくれた言葉、ついでに下に書いときます。
それでは、またいつか中国でお会いしましょう!

春节到。我的祝福跟着到,祝你新年事业借着“东风”跨上“宝马”举着“红旗”吹响“奥迪”越过”丰田“一路“奔驰”直取”皇冠“愿一生好运!

by chinafish | 2007-02-25 11:25

《满城尽带黄金甲》と「生きてゐる兵隊」


先週中国で封切られ、Cpod 高级47 国产大片でも出てきた张艺谋の《满城尽带黄金甲》。このタイトルの元は、唐末の叛乱「黄巣の乱」の指導者・黄巣(?—884)が詠んだ『菊花』という詩から来ています。

huáng cháo
黄 巢
bù dì hòu fù jú
不 第 后 赋 菊

dài dào qiū lái jiǔ yuè bā
待 到 秋 来 九 月 八 ,
wǒ huā kāi hòu bǎi huā shā
我 花 开 后 百 花 杀 。
chōng tiān xiāng zhèn tòu cháng ān
冲 天 香 阵 透 长 安 ,
mǎn chéng jìn dài huáng jīn jiǎ
满 城 尽 带 黄 金 甲 。


(以下私のテキトーな意訳です)
秋を待ち9月8日が来たる
我が花は開きし後 全ての花を殺す
天を衝くその香は長安に行き渡り
城市を黄金の鎧かぶとが埋め尽くす


タイトルの「赋菊」は菊を詠むという意味ですが、「不第后」がよくわかりません。逐語訳では不合格の後、になってしまいますがよくわからない。
不合格といえば、黄巣は若い頃は官吏を目指し科挙に何度も落第し、その後諦めて塩の密売人になったそうです。
科挙に失敗⇒逆賊というパターンは多いようですね。「科挙」制度の功罪のうち、罪の面を表すのでしょうか?
その後、同じ塩の密売人が挙兵するとこれに参加し、反乱軍の中心人物となり長安を陥落させます。この詩は、長安陥落にちなんで詠まれたものなのでしょう。

旧暦9月9日は、9は陰陽五行で「陽」にあたるので、陽2つ重なるとして「重陽節」にあたります。この日は古くから菊花酒を飲む習慣があったとか。この詩で「9月8日」になっているのは、後ろの句の末尾「杀」と韻をふむためのようです。
末尾の《満城尽帯黄金甲》をタイトルにしたのは、農民の蜂起を示すのではなく、宏大な戦争場面をイメージしたものとのこと。

戦争といえば、先週の12月13日は、1937年に旧日本軍が南京を攻撃・占領した日です。
その後1カ月以上にわたって、南京大虐殺が行われたといわれていますが、その詳細内容や死者数については意見が大きく分かれるところです。 しかし、実際に何万人かの中国人が殺されたことは間違いなく、死者数をもってその非が減ぜられるわけではないと思います。

南京大虐殺に関しては様々な本が出ており、何が真実であるかを見極めるのが難しい状態です。私が読んだ中で勧められるのは、石川達三の小説「生きてゐる兵隊」です。これは小説なのでもちろん事実をそのまま書いたものではありません。しかし石川達三は雑誌記者として南京陥落後すぐに現地に赴き、そこで見聞きしたことを元に現地レポートのような形で書き上げたものです。本人も、「あるがままの戦争の姿を知らせる」ことを意図したと言っており、実際に起こったことを十分感じ取ることができると私は考えます。
さらに小説として、戦争と言う極限状態におかれた人間の精神状態を描くことで、非常に古い作品ながら現代にも通じる普遍性を得ていると感じました。中国に本格的に関ろうと思う方、中国に住まれる方にとっては必読の書だと思いますし、小説としても十分読み応えのあるものです。
ただし、私はこの本を読んでから以降は、中国語を学ぶことになにか重い心のしこりを感じるようになりました。
なおこの作品は、発売前に禁止処分を受けたに後起訴され、石川達三は禁固4か月、執行猶予3年の判決を受けています。

中国の大作映画も、華やかな戦闘場面に力をいれるだけでなく、なんらかの普遍的な感情を描くことが出来ればもっと見ごたえのあるのでは無いでしょうか。いつの時代でも、戦いは生身の「生きてゐる兵隊」がおこなうのですから。

by chinafish | 2006-12-18 18:45 | 中国を読む

含泪活着

最近、街中で中国語を耳にする機会が増えてきたような気がします。

土曜日は、近くの大学の学園祭へ。
中国語らしき言葉がするので見ると、屋台で中国人留学生が餃子売り。
水餃子に香酢をかけてたものを頂きしばし談話しました。
自分たちで作った餃子だそうで本国と同じ味でおいしかったです。

日曜日は買い物に行って昼ご飯を食べにレストランへ。
後ろで並んでいたのが、中国人の家族。
日本語もそこそこ流暢でしたが、サービスが悪いとお店の人に大声で怒っていたのが中国人らしいと思いました。

昨日夜はいった中華料理屋。
店員さんの日本語がたどたどしいので中国語で話かけたら、7歳の娘さんをつれて大連から出稼ぎに来ているとのこと。上の息子さんも日本でバイト。
7年もいるのに、東京に行ったことがないので、新幹線に乗って行き途中で富士山を見たいと言っていました。

中国政府が出国を全面的に解禁したら、日本に中国語があふれそうです。
5,6年あとには、そうなるかもしれません。

私が知っている中国人は、みな日本人よりたくましい。
町で見かける中国人も皆元気そうです。
でもきっとそれぞれの 「含泪活着」 があるんでしょうね。

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《含泪活着》讲述了一个中国父亲的真实经历:为了女儿,他在日本黑了15年

“在连续3年每年有3万人自杀的日本,有这样一位中国人顽强地含泪活着。”这是11月3日日本富士电视台播放的电视纪录片《含泪活着》片首的一句话,在这部历时10年拍摄的两个小时的纪录片里,讲述了一位中国父亲为了给女儿挣学费在日本打工15年的动人故事。

在日本电视节目的黄金时间播放中国人拍摄的、关于中国人经历的严肃题材纪录片,这对于擅作娱乐节目的富士电视台来说非常罕见,该台制片人横山隆晴说:“这部纪录片表现的精神气质和感人情节,据我所知,在日本电视界制作的纪录片中,还没有与之比肩的作品。”

全家福
初到日本,弃学还债

1989年,上海,35岁的丁尚彪面临人生的一个重要转折点。他偶然在街头买了一份日语学校的招生简章:首付入学费和半年学费共42万日元(约合人民币3万元)。丁尚彪是“上山下乡知识青年”,连初中学历都没有,他决定赴日留学,改变自己没有文化的人生。为凑足学费,他到处借钱。当年6月,他挥泪告别妻子女儿,只身来到日本。

丁尚彪报名的日语学校名叫“飞鸟学院·阿寒校”,位于日本北海道的阿寒町布伏内地区,过去是一所中学。这一带曾经是煤矿,1970年煤矿关闭后经济萧条,建立吸引中国学生的日语学校成为当地刺激经济的举措。看着眼前偏僻简陋的学校,丁尚彪哑然无语。他本来打算边学习、边打工还债,可这一带连便利店都没有,到哪里去打工,怎么还债?

丁尚彪选择了离开阿寒町,前往东京打工。但是入国管理局(相当于中国的出入境管理局)认为他擅自离开阿寒町,没有批准他延长居留的申请,丁尚彪成了非法居留者,打黑工的生活从此开始了。

欠债还清后,丁尚彪依然没有回上海,继续留在东京打工。他调整了自己的生活目标,不再考虑改变自己没有文化的人生,他把希望寄托在女儿身上——送女儿去国外一流大学留学,为她留学挣学费,成为丁尚彪新的人生目标。

1996年春天,中国留学生张丽玲认识了丁尚彪,那时他已经在日本生活了7年。《含泪活着》从此开始了跟踪拍摄。

母女相见

父女相见,泪流满面

作为非法居留者,丁尚彪生活在随时可能被发现、被追究法律责任的恐惧中。但他仍然每天打3份工,乘坐最后一班地铁回家。回家之后的固定程序是做饭(包括第二天的早饭和午饭)、吃饭、洗澡,睡觉都是在后半夜。

丁尚彪住在东京丰岛区一个破旧木板楼的二层。做饭、吃饭、睡觉、洗澡、如厕,都在这不到10平方米的空间内。洗澡设施是丁尚彪特制的:一个澡盆大小的塑料袋,“花洒”就是洗碗用的热水喷头。洗澡时,人必须站在塑料袋里,水才不会流到地上。洗完澡,再把塑料袋拎起来,从洗碗的下水口把水倒出去。墙上挂着一幅照片,是女儿小学四年级时候照的。回家后看女儿的照片,是丁尚彪最幸福的时刻。

1997年2月,上海,摄制组把在东京拍摄的丁尚彪生活打工场景的录像播放给他的妻子和女儿看,时隔8年看到久别的亲人,母女二人失声痛哭。当年夏天,女儿收到纽约州立大学的入学通知书。前往美国途中需要在日本转机,可以停留24小时,女儿决定去看望父亲。

从机场出来,女儿坐了一个多小时的电车,到了与父亲约好的日暮里车站。虽然8年没有见面,但女儿还是一眼看到在站台上等候的父亲。父亲为掩饰激动的心情,故意找一些轻松的话题,说女儿长了双眼皮,还说她应该减肥了……

父亲带女儿先来到自己在东京打工的一家餐馆,告诉女儿自己曾在这里刷盘子。入夜,父亲带女儿回到那个10平方米的家中。看着父亲艰苦的生活环境,看到墙上挂着自己上小学时的照片,女儿泪流满面。

次日早晨,父女同乘电车前往成田机场。但父亲不能把女儿送到机场,因为如果机场安检要求出示身份证明,丁尚彪非法滞留的身份就会暴露。在机场前一站,父亲默默地走出车厢,站在站台上,目送女儿离开。


夫妻团圆,疑虑顿消

女儿去美国后,一家三口分在中、日、美3个国家。母亲在上海一家服装加工厂上班,她多次申请去美国看女儿都被拒签。直到5年后,母亲的第12次申请签证终获批准。


夫妻团聚

2002年春天的一个早晨,母亲穿上新做的衣服,到美容店吹了头发,从上海出发前往美国。与5年前女儿的行程一样,在日本转机。这次母亲可以停留72个小时。她也从成田机场乘电车到日暮里车站,13年未见的丈夫丁尚彪在那里等着她。

来到丈夫的住处,妻子看着丈夫在窄小的房屋内张罗晚饭,看着他花白的头发,看着墙上女儿的照片,看着床上他们结婚时买的枕套,妻子的心里有说不出的酸楚悲凉。

接下来的两天多时间里,夫妻按照丈夫精心设计的路线旅游,在明媚的春光里品味着久别重逢的温馨和喜悦。妻子离开日本时,丁尚彪与5年前送女儿时一样,在成田机场前一站下车,目送妻子远去。

成田机场,丁尚彪的妻子对着摄像机镜头说:“过去我怀疑他有外遇,现在看是我错怪了他。”

纽约肯尼迪机场,女儿扑进母亲怀中。女儿说,报答父母养育之恩最好的办法就是成为一个好医生,为更多的人减轻痛苦,带来幸福。

15年含泪生活感动日本

2004年6月,女儿即将学成回国,丁尚彪认为自己的使命已经完成,决定返回上海。屈指算来,他已经在日本度过了15年。回国前,丁尚彪再次来到阿寒町,那个日语学校早已停办,校舍成为一片废墟。

丁尚彪登上飞机离开了日本,担惊受怕的非法打工经历终于成为历史。庆幸的是,有心人把这个普通中国人的生活用摄像机记录了下来。

该纪录片导演兼制片人、摄像张丽玲向《环球时报》记者透露,丁尚彪回国前,曾表明自己不想隐瞒非法居留身份,请律师为他申请合法的回国签证。律师了解了他15年非法滞留的经历后说,按日本法律至少要服刑3年,劝他不要自找麻烦。

在办理登机手续时,海关人员看到丁尚彪的护照,先是大惊失色,但很快平静下来,然后迅速做出决定——盖章放行,还以举手礼向他表示敬意。也许是海关人员在电脑检索中,没有发现丁尚彪有其他非法行为的记录。15年,不容易,高抬贵手两方便。丁尚彪终于回到上海,据说上海昆山有家企业即将聘用他。(驻日本特派记者 于青)(《环球时报》 2006-11-03 第19版)


by chinafish | 2006-11-08 08:16 | etc.

ダライ・ラマを知らない社会


ダライ・ラマが昨日から広島に来ている。


ダライ・ラマは、チベット仏教の最高権威者で、1959年以来亡命生活を続けている。
1989年にノーベル平和賞を贈られたが、中国政府からは常に攻撃の的になっている。

今回日本にきたのは、広島国際平和会議2006に参加するため。
アパルトヘイト撤廃を訴えるデズモンド・ツツ大司教と、北アイルランド紛争に反対するベティ・ウィリアムズ女史とダライ・ラマ14世の3人が参加し、基調講演や座談会を行う。

チベット独立を訴えるラマ師を、中国政府は入国させないよう毎回日本側に求めているが、今回はそういったなぜか報道は控えられている。
日中関係が修復に向かいつつある微妙な時期だからだろうか?

また、広島国際平和会議に関してもNPO主催であり、政治色・宗教色のあることを考慮してか、今日までのところ日本のメディアも積極的には報道していない。これから報道するのかもしれないし、なんらかのデバイスが懸っているのかもしれない。

すなわち、訪日に関して、今のところほとんど報道されていないが、私が知っているのは何のことはない、広島に住んでいるからである。

昨日の夜のNHKでも、六カ国協議と、「いじめ問題」、それと「必修科目未履修」がメインだった。

世界史を習っていない高校生は、きっとダライ・ラマのことなんてほとんど知らないんだろうなあ・・・。

という私も、自伝を一冊以前読んだだけで、それほど詳しいわけではない。
かつて中国がチベットを併合したやり方は、正しいものではなかったと思うし、不必要な血が沢山流されたことは非常に残念に思う。しかし、自伝を読む限り、ダライ・ラマ師がいたころの体制では、ボーダーレス、かつフラット化のすすむ世界の中で、チベットが近代国家として生き残っていくことは難しかったと思う。

ラマ師の評価は難しい。
ノーベル平和賞も往々にして政治力の影響を受けるものであるし、何が正しいかは評価者の立場によって変ってくる。
しかし、最低限の過去の出来事は知っておくべきだし、立場の違いはあれ、世界のダイナミズムを理解しておくことも必要不可欠だ。

世界史や地理を学ぶ理由は、たぶん必修科目だからではなく、必要最低限の過去に関する知識を得ること、それ以上に、世界のダイナミズムを理解することにあると思う。

でも学ばなかった世界史をこれから補修するときに、そんな学ぶ目的なんて何も頭に無いんだろうなあ・・・とても残念です。

「いじめ問題」や「必修科目未履修」のニュースを聞いていると、日本の学校はとても閉じられた社会で、唯一の出口が大学入試みたいに感じる。
経済活動以外にはあまり世界に関心をもたない社会を反映しているのかもしれない。

ダライ・ラマが報道されない社会と、「いじめ問題」や「必修科目未履修」、どっかでつながっていると思うのは考えすぎ!?


インターネットでは広島国際平和会議2006の概要が見れる。もちろん私は個人的にお薦めしているわけではなく、評価は各人の下すものだと思う。

http://www.hiroshimasummit.jp/ja/index.html

さらにダライ・ラマ訪日を報道している中文の文章は以下の通り。
VOICE OF AMERICAの報道。

最初は、中国のブログをいろいろ検索したけれど、規制がかかっているようで何もでてこない。
YAHOOやGOOGLE中国は、当り障りの無い古い内容のものだけ出てくる。
これもきっと規制されてるんでしょうね。


これを載せると中国からはこのブログを見ることができなくなるんだろうか?
ものは試しですね。


达赖喇嘛第十二次访问日本
2006年10月30日

西藏流亡精神领袖达赖喇嘛星期一抵达日本,开始为期十四天的访问。有关人士透露,达赖喇嘛访日是应民间宗教团体邀请,和最近日本新首相上任以及西藏边界开枪事件没有关系。
*出席和平会议*
这将是现年71岁的达赖喇嘛第12次访问日本,他上次访问日本是去年4月。此行达赖喇嘛将在东京等城市发表宗教演讲,并将和其他诺贝尔和平奖得主出席在广岛举行的以和平为主题的两天会议。
中国政府历来反对达赖喇嘛到海外出访,认为他是打着宗教名义进行西藏分裂活动。日本政府这次允许达赖喇嘛入境的条件是他不会参与任何政治活动。
*日本对来访支持 对会晤谨慎*
法新社援引达赖喇嘛在东京联络办公室发言人的话说,达赖喇嘛这次访问期间没有计划会晤日本政界和商界领袖。
佛教是日本主要宗教之一。法新社的报导说,和世界其它主要民主国家相比,日本政府官员在是否会晤达赖喇嘛的问题上持更加谨慎和保留态度。
西藏精神领袖达赖喇嘛及西藏流亡政府驻美洲的代表扎西旺堆在接受美国之音采访时表示,达赖喇嘛通常是应民间宗教团体邀请访日,日本政府也从来没有拒绝过他的到访。
扎西旺堆说:“日本从来没有拒绝过达赖喇嘛的到访,不像韩国等中国的其它亚洲邻国那样,日本政府从来都是给予友好的合作,为他的行程安排提供方便。”
法新社说,达赖喇嘛1980年访问日本时曾经和当时的日本首相铃木善幸举行会晤,这是到目前为止达赖喇嘛到访日本时唯一一次会晤日本首相。
*扎西旺堆:和政治事件无关*
近年来,由于靖国神社、历史教科书以及领土争端等问题, 东京和北京的关系趋于紧张,但是9月份刚刚出任新首相的安倍晋三最近访问北京,被外界视为双方缓和关系的转折点。
西藏流亡政府驻美洲的代表扎西旺堆表示,达赖喇嘛这次在日本的两个星期访问行程是在新首相安倍晋三上任前就计划好的。
扎西旺堆说,“达赖喇嘛在所有国家的访问都是应对方国发出的邀请,这次日本之行是在大约半年前就安排的,所以和日本首相轮换没有关系,另外也和最近西藏尼泊尔边界开枪事件没有关系。”
9月30号有70多名逃亡藏人在从喜马拉雅山区越境逃往尼泊尔时,遭到中国边防军人开枪射击,目前所知可能有两人丧生,整个事件被当时在场的国际登山者看到并拍摄了录像,被西方媒体曝光。据报道,其中41人上星期已经安全抵达印度首都新德里,并将前往印度达兰萨拉,和西藏流亡精神领袖达赖喇嘛见面。
达赖喇嘛这次日本之行将在广岛出席佛教活动仪式,另外还将在东京发表演讲,题目是“善良的心 -- 通往健康与幸福的钥匙”。他将在11月12号结束访日,返回印度达兰萨拉西藏流亡政府所在地。

by chinafish | 2006-11-01 08:06 | 中国博客で学ぶ中国語

大熊猫“安安” 和 “姬姬”

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こけしさんという方のブログの記事にあった、

雑誌『anan』名前の由来はパンダらしいです

に触発され、ネットでいろいろ調べてみた。

http://chaimama.blog62.fc2.com/blog-entry-125.html




アンアンという雑誌名は創刊当時モスクワ動物園で飼育されていたパンダの名で、一般公募で選ばれたらしい。

ネット上の情報によると、このアンアン(安安)はオスのパンダで、
1959年、2歳のときに中国からモスクワ動物園に寄贈
1968年、ロンドン動物園にいるチーチー(姫姫)との交配のために、モスクワ動物園から貸し出され9ヶ月間滞在
1972年10月、モスクワ動物園で死亡(15歳)
とあった。

雑誌の名前に決まるまでの経緯としては、
1)一般公募で選出
2)編集部員が68年夏、ニュースでロンドンに貸し出されたパンダの写真を初めてみて、ひらめいた

という2説が載っていた。どっちが正解だろう?

次は、アンアンがモスクワへ送られたときの面白い顛末。

一对鸳鸯换成一对鳏夫
  1957年,中国政府将宝兴县盐井乡的雄性“平平”和硗碛乡的雌性“碛碛”两只大熊猫赠送给前苏联,在莫斯科动物园饲养展出。饲养一段时间后,主人认为两只大熊猫均为雄性,便将“碛碛”送回北京动物园,要求换一只雌性大熊猫与“平平”配对。1959年,产自宝兴中坝乡的“安安”被误认为雌性大熊猫,送到莫斯科动物园。后来才知,“安安”是雄性,“碛碛”是雌性。交换来交换去,把一对鸳鸯换成了一对鳏夫。后来,“平平”在1961年去世,而“安安”也未找到一个终身伴侣,直到1972年10月郁郁寡欢而死。


1957年、オスの“平平”とメスの“碛碛”がモスクワ動物園に送られた。ところが、モスクワ側が両方ともオスだと言って、“碛碛”を送り返し、メスを送って欲しいと中国に依頼。そこで“メス”の“安安”が送られたが、実は“安安”はオスで、送り返された“碛碛”はメスだったことが後から判明。もともとツガイだったのに、男やもめ2頭になってしまったという話。なんとなく作り話みたいな気もしますが・・・。

ちなみに雑誌の創刊は1970年、カンカン・ランランが上野へ来たのが1972年、もう30年以上前の話だ。
安安が生きていれば、今年49歳、中国・モスクワ・ロンドンと色々忙しい一生を過ごし、日本の女性雑誌の名前として今なお語り継がれている(?)とは面白い顛末です。


以下は、アンアンのお相手だったチーチー(姫姫)に関する記述。

1958年,奥地利动物商人海尼来北京旅游,通过谈判,他用3头长颈鹿、2头犀牛、2匹河马、2匹斑马的代价,与北京动物园交换了一只3岁的雌性大熊猫“姬姬”。海尼带着“姬姬”先后到莫斯科、柏林、法兰克福和哥本哈根巡回展览,然后在1958年以12000英镑的价格将“姬姬”卖给英国,饲养于伦敦动物园。1966年,“姬姬”乘英国皇家空军先锋号飞机,到达生活过的莫斯科动物园,试图与“安安”组建成家庭,但未能配成对。1968年8月,安安又前往伦敦动物园与“姬姬”试亲,同居一室9个月后,还是“不来电”,遂分开。“姬姬”在1971年7月去世。


これを読むと、チーチー(姫姫)は、友好大使として送られたのではなく、動物商人に買われ、モスクワ・ベルリン・オランダと見世物旅行に連れて行かれ、イギリスに売られたらしい。

なおこのチーチー(姫姫)は、1958年に一旦アメリカに送られたが、共産主義国からの荷物は受け入れられないという米国法に引っかかり(ホントかな?)ロンドン動物園に迎えられた。

イギリスは子作りの相手を当初中国に依頼、しかし当時共産国と資本主義国は仲が悪く拒否され、結局同じ共産国ではあるものの、ソ連が救いの手を差し伸べたようです。
そこで、モスクワから入婿の安安を向かえたチーチー(姫姫)だが、実はそれに先立つ1966年、モスクワ動物園に、同じアンアン(安安)との交配のために7ヶ月間来園している。

モスクワとロンドン、2つの都市を行ったり来たりして子作りにトライした二人だが、結局どちらも上手くいかなかったらしい。

当時のイギリスの新聞は、こう伝えています。
Arena recalls the bizarre tale of Chi Chi the panda who, refused entry to America in 1958 because of a US embargo on communist goods, came to London Zoo amid mass media attention.

その後子作りが上手くいかなかったことに対しては、
A watched Kettle never boils(やかんは見守っていると決して沸騰しない)

と伝えたとか・・・

アンアン(安安)よりも、チーチー(姫姫)の運命の方がドラマチックな感じがしますね。

その後、アンアン(安安)と国境線をまたぐ結婚生活を営み、1972年7月に15歳で死んでいる。アンアンに先立つこと約3ヶ月。

国外大熊猫的寿命统计更偏低一些,从1937年苏琳死亡算起,据对已经 死亡的27只大熊猫统计,平均寿命只有8.5岁,过去寿命最长的是伦敦动物 园的姬姬和莫斯科动物园的安安,都超过了15岁。现在的平均寿命有所增长, 如华盛顿动物园的玲玲和兴兴都超过了20岁。


アンアン、チーチーは長生きした方だと書いてあります。


最後に、
パンダ外交といわれ、国家友好のため世界のあちこちにパンダが送られましたが、パンダ外交第一号は日本に送られたもので、685年に天武天皇に2頭のパンダが送られたと日本の皇室記録にあるそうです。

これが事実なら大変ですが、どうも怪しいですね。
本当かどうか、皇室の方教えていただけないでしょうか?


  
从1957年到1982年期间,我国先后向前苏联、朝鲜、美国、法国、德国、日本、西班牙及墨西哥等9个国家,赠送大熊猫23只。另外以其他动物交换一只,借养一只。作为和平友好的使者,这些大熊猫走出国门,播种着和平与友谊,受到上述国家人民的欢迎。
第一次出国定居日本
  早在公元685年,中国历史上唯一的女皇武则天就将一对熊猫作为国礼赠给日本天武天皇,揭开了大熊猫作为友好使者出国定居的序幕。此事被日本史学家写入日本皇家年鉴。

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by chinafish | 2006-10-23 16:12

中国を読む//山の郵便配達


山の郵便配達
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彭见明
集英社


BOOK OFFで見つけて、あまり期待せずに買ったけど面白くて一気に読んでしまった。
これをまれに見る傑作短編集と思うのは、私だけなんだろうか?

この本にでてくる農民の素朴な人柄や、広州へ我も我もと向かう若者の熱気に触れた経験があるので、そのときの感情が鮮明に浮き上がってきて、よけいほだされてしまうのかもしれない。

表題を含め、6つの短編が入った短編集

美人に育った娘が、都会に出てしまうのを防ごうとする実直なお父さん、30過ぎて結婚するが相手が心臓病なので夫婦生活が営めない真面目な青年の悩みなど、描かれるのは、すべて中国農村の素朴な人達。

そうした庶民の喜びや悩みが、生き生きと描かれ、なおかつ語り口の上手さにどんどん引込まれる。さらに、底辺に流れる控えめなユーモアは、登場人物に対する暖かい眼が感じられ、にっこりして読み終えてしまう。

表題作は映画の原作だが、映画よりずっとおもしろいと感じた。原題は、「那人 那山 那狗」(あの人 あの山 あの犬)で、登場人物や、犬の想い、山の景色がストレートに伝わってきて思わずほろりとする。

映画が先に有名になってしまって、逆に損しているような気がする。

この小説家の作品は、もっとユーモアがあって、とてもストレートだけど、深い満足感のあるものだ。
by chinafish | 2006-10-16 08:01 | 中国を読む

求佛の奈何桥

「求佛」は、歌の題。

最近流行ってるよと言われ、中国人の友達からVCDを少し前に頂いた。
歌詞を理解しようとこの間から悪戦苦闘している。
解りそうで、今ひとつしっくり来ない。
遠く分かれて暮らす最愛の人と、いつか合えることをお釈迦さまに願う歌のようだ。

その中に、

当我在踏过这条奈何桥之前 让我再吻一吻你的脸


という歌詞がある。
「奈何桥」という橋で愛する人を待ち、もう一度くちづけをといった意味だろう。

「奈何桥」がなにか調べてみた。

你知道奈何桥和孟婆汤吗?当我们每个人死后,都会被黑白无常带上黄泉之路,然后穿过奈何桥。在奈何桥的彼岸有一位老婆婆叫孟婆,她专门负责给每一个过桥的魂灵灌饮孟婆汤。 我知道孟婆汤是用来消除前生记忆的。



つまり、「奈何桥」とは、あの世へ行くときに必ずわたる橋の名前。
そのとき、孟婆というお婆さんがそこにいて、孟婆汤というスープを飲まされる。
それを飲むと前世のことを全て忘れてしまう。
その後で、また人や動物に生まれ変わるという道教の教えに基づく話のよう。

死んだら、必ず「奈何桥」を渡るので、そこであなたを待っているというのが、歌の意趣なんだろう。


求佛       歌手:誓言

当月光洒在我的脸上 我想我就快变了模样
有一种叫做撕心裂肺的汤 了它有神奇的力量
闭上眼,看见天堂 那是藏着你笑的地方
我躲开无数个猎人的枪 赶走坟墓爬出的忧伤
为了你 我变成狼人模样 为了你 染上了疯狂
为了你 穿上厚厚的伪装 为了你 换了心肠
我们还能不能再见面 我在佛前苦苦求了几千年
愿意用几世换我们一世情缘 希望可以感动上天
我们还能不能能不能再见面 我在佛前苦苦求了几千年
当我在踏过这条奈何桥之前 让我再吻一吻你的脸
闭上眼,看见天堂 那是藏着你笑的地方
我躲开无数个猎人的枪 赶走坟墓爬出的忧伤
为了你 我变成狼人模样 为了你 染上了疯狂
为了你 穿上厚厚的伪装 为了你 换了心肠
我们还能不能再见面 我在佛前苦苦求了几千年
愿意用几世换我们一世情缘 希望可以感动上天
我们还能不能能不能再见面 我在佛前苦苦求了几千年
当我在踏过这条奈何桥之前 让我再吻一吻你的脸
我们还能不能再见面 我在佛前苦苦求了几千年
愿意用几世换我们一世情缘 希望可以感动上天
我们还能不能能不能再见面 我在佛前苦苦求了几千年
当我在踏过这条奈何桥之前 让我再吻一吻你的脸
让我再吻一吻你的脸 让我再吻一吻你的脸




誰か訳してくれないだろうか? 

求你~
by chinafish | 2006-10-14 14:52 | 成句詩句

中国を読む/わたしたちが孤児だったころ

カズオ・イシグロ (ハヤカワepi文庫)


上海租界の真実、そして崩壊する世界の果てに見出されるもの

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これは、「記憶」をたどる物語だ。

主人公である探偵は、幼少時代からの過去を回想し、自分と世界の関係を見つめなおす。

1900年代初頭、上海の租界で暮らしていた主人公は、両親の失踪によって10歳で孤児となり、単身イギリスに帰る。ロンドンで探偵として名声を得た彼は、両親を探し出すため、日中戦争の最中にあった1937年、上海に戻っていく。
イギリスの伝統的な探偵小説の形式を踏襲して始まる物語、しかし事件が解決されることは無く、崩壊する上海なかで真実は見失われていく。主人公の精紳は徐々に狂い始め、過去の記憶さえ狂気の世界へと暴走する。戦時下の上海はさらにコントロールの効かない現実と化し、意識も現実も真実とは思えない。

狂った記憶と狂った現実

二つの異なる狂気に対面し、読み手はいつしか何が真実かを見失い、予定調和の世界であるはずの探偵小説は見失われていく。そんな小説の最後に、読み手は何を見出すのか?

「子供時代とは、記憶と想像力で作り上げた架空の世界だ。」

とカズオ・イシグロは言う。
それは大人たちが慎重にコントロールした世界であり、現実に起こっていたこととはかけ離れている。人は大人になるにつれ、その偽りに気づくのだ。
カズオ・イシグロは長崎で生まれ、5歳のときにイギリスに渡り育った、日本生まれのイギリス人文学者である。自身の記憶が物語に反映される。

当時租界として栄えた上海は、主人公の美しき幼少時代の舞台として現れる。

丹念に手入れされた“イギリス風”の芝生、ニレの木立が投げかける午後の木陰、それから格子状の柵で囲まれたバルコニーと翼部がいっぱい突き出た巨大な白い我が家。

上海租界は、貧しい中国人居住区とはかけ離れた、擬似西洋であり擬似的な現実であった。ゆえに架空の子供時代の記憶を象徴する場としてふさわしい。さらに、7月7日に正式宣戦布告した日本軍は租界に手をつけず、戦火という現実からも切り離されていた。
しかし、安全な租界の外に広がるのは、アヘンのはびこる貧民街だ

まともな建物など無く、ただみすぼらしい小屋が互いに折り重なるように建っている。いたるところに死体が積み上げられていて、その上をハエが飛び交い、そのあたりにいる人々はそんなことをなんとも思っていない。

アヘンを売りつけ、混乱する中国を植民地化するために列強によって奪われた拠点、それが上海租界の成り立ちだ。現在の洒落た町並みに我々日本人が抱くイメージは、罪深き交易によるおぞましい富で成り立ったこの街とはおおよそかけ離れた架空のものに過ぎない。

しかし、租界の外にいた「中国人」も、「上海市民」とはいえない。その多くは戦争難民、職をもとめる農民、得体の知れない商人、外国人の融合である。ゆえに、物語の後半にむかい、崩壊し秩序を失う現実として、上海はさらにふさわしい舞台となっていく。

混乱の果てに知る両親の過去、しかしそれさえも真実かどうか定かではなく、主人公は両親を見つけることなく、失意のまま何年か後にロンドンへもどる。

最後に主人公が見出す唯一の救いは、
「母親が主人公を思う気持ちが、どんなことにも左右されずただそこにあったこと」である。
主人公は言う、

おそらくそんな心配などせずに、人生を送っていくことのできる人々もいるのだろう。しかし、私たちのようなものにとっては、消えてしまった両親の影を何年も追いかけている孤児のように世界に立ち向かうのが運命なのだ。最後まで使命を遂行しようとしながら、最善をつくすより他ないのだ。そうするまで、私たちには心の平安は許されないのだから。

しかし、物語の真実を見失い、自ら孤児となったかのような読み手は何を見出すのか?
そのヒントは、以下のカズオ・イシグロの言葉に見出せるかもしれない。

政治やモラルなどの価値観や信条が、人生のなかで未来を切り開くのを助け、導いてくれる、重要なことは正しい価値観を持つことだ。私は、多くの若者はそういうふうに考えていると思います。政治的な価値観について、夜遅くまで、眠ることなく議論をする。そこには確信がある。正しい価値観を選択すれば、よりよい人生を送ることができる。人生を正しい方向に向かって生きる機会が得られ、快く振り返ることができる。私の初期の作品はそのような感覚から出発していた。 しかし、――――いくら明確な道を歩んでも、そこには過ちがある。偶然や運にも委ねられている。だから、明確な道ではなく、森やジャングルのなかで道に迷い、方向性を見失うような、もっと混沌としてコントロールがきかない世界を描こうとした。人生や過去をコントロールすることがある種の幻想であるかのように。信条や価値観を持つのが重要であることはもちろん間違いないのですが、人が生きていくうえではもっと他の要素があり、岐路に立ったときに運や偶然が人生を決定することもある。選択した価値観のとおりに道は開かれない。

そう、我々自身が歩む現実の物語でさえも、見出されるのは真実ではなく、すべてが不確かな中で最善をつくすより他のなかった「記憶」なのかもしれない。

by chinafish | 2006-10-11 07:28 | 中国を読む

各种情况

今日は中国のブログをたくさん読んでお勉強した。

印象に残った表現を列挙しました。



不知道是一只披着羊皮的狼来了,还是一只温和的羊来了

羊の皮を被った狼なのか、それともやさしい羊だかわからない


披着羊皮的狼(pī zhe yáng pí de láng)、歌にもありました。プレーボーイがよく言われます。 他是羊皮的狼! けっこう使える表現です。


我们期待他对中国的这次破冰之旅能圆满成功

中国での「氷を割る旅」が円満に成功することを祈ります


破冰之旅(pò bīng zhī lǚ )台湾の国民党が中国を訪れたときも使われました。
政企分开中国邮政改革开始破冰之旅 中国にも郵政改革があるのでしょうか?

今天我们的生活是美好的,但日本这个民族依然在给我们以侮辱和鄙视,我们要和平,但是和平并不是以牺牲原则换来的。我们不怕战争!!
我们的国力虽然落后,但是中国有我们这些热血儿女,我们并不是垮掉的一代

現在、我々の生活は素晴らしいものになった。しかし日本民族はいまだ我々を侮辱し蔑視している。我々は平和を望むが、それは何かを犠牲にして得るものではない。我々は戦争を恐れない。我々の国力は劣っているかもしれないが、中国国民は男も女も血は熱い。我々は決して退廃した世代ではない。


垮掉的一代(kuǎ diào de yī dài )すごい言葉にぶち当たりました。アメリカで流行った「ビートジェネレーション」のことです。垮は崩れるの意味。


不管这次访华结果如何,但是日本领导人迈出了关键的一步,这是我们所有中国人都希望看到的!日本人只要能认识到自己的过错,中国人民还是会原谅你们的,谁让俺们中国人这么宽宏大量呢!呵呵.

今回の訪中の結果がどうであれ、日本の指導者は大事な一歩を踏み出したのであり、これは中国人がみんな望んでいたことだ。日本人が自己の誤りを認めさえすれば、中国人は許すことが出来る。我々中国人はこんなにも広い心を持っている。


宽宏大量(kuān hóng dà liàng )は、度量が大きく鷹揚であること。
情绪稳定、宽宏大量好丈夫的心理指标 夫は心静かに鷹揚であれ


笔者认为,对于深深的伤害了我们国家,我们人民的无耻的国家领导人的来访。首先应该在卢沟桥上给予参观,在南京的给予看看,同时在请他们看看最近的东京审判这部电影

筆者は考える、我が国及び国民を深く傷つけた恥知らずの国から来た指導者には、まず芦構橋を見せ、さらに南京を見せ、最近の映画「東京裁判」を見せるべきだ


「東京裁判」はこの9月に上映された中国映画。中国人判事がA級戦犯のごまかしを暴いていくストーリーになっている。


呵呵,不是想损她拉,她真的很像某部韩剧中的一个妈妈,
很花痴很可爱,
所以我看到她照片的第一反应就是,她怎么当起首相夫人了,
其实她挺聪明的,应该会是个成功的第一夫人,
祝福你咯,安倍昭惠

ああ、彼女に悪気は全然ないけど、彼女はある韓国劇の中の母親にそっくりだわ。すごく女の子って感じで可愛い。だから最初に彼女の写真を見たとき、どうやって首相婦人になったかと思ったわ。実際は、とても賢くて、だから上手く第一婦人になれたに違いないけど。安倍昭恵さんに祝福を!


花痴(huā chī )は辞書に載ってない。夢見る乙女みたいな感じを言うのだろうか?いかにも女の子って感じか?こんな説明がありました。
她总是口味津津地说:“我在想,我未来的白马王子是什么样呢?”大家差不多会在此刻抬起头来,玩笑着异口同声地说:“花痴!”


人们期待并且愿意相信安倍首相能够“言必信,行必果”,使此次对中国的破冰之旅成为两国携手走向未来的新起点.
我们将对新一届的日本领导人拭目以待

人々期待しかつ信じたい、安倍首相は、「言った以上は必ず実行し、行う以上は断固としてやる」ことを。今回の中国の氷を割る旅が、両国が未来へ手を携え進む出発点としたい。我々は新しい日本のリーダーを「目をこすってよく見たい」


言必信,行必果(yán bì xìn xíng bì guǒ )有言実行よりも強い表現。说话一定要守信用,做事一定要果敢という意味。論語からきた成句。(言必信,行必果,然小人哉)


有人说是“破冰之旅”,会对以后的中日关系有很好的改善;有人说也可能会走小泉的道路。不管怎样,我们拭目以待吧。

誰かが、「氷を割る旅」だと言った。これから中日関係は改善されるかもしれない。誰かが言った、小泉と同じ道を歩くかもしれない。なんでもいい、「目をこすってよく見て」行こう



拭目以待 カツモクして待つこと。



古人云“智者顺势而谋”。中方所谋之势,是为中日两国人民的友好与合作,是为亚洲地区的和平与发展,是为构建和谐亚洲、和谐世界。安倍首相实现访华,是中日两国领导人因势利导的决断,是力争互利双赢的选择。


可以说,这次安倍访华对于双方来说都是经济更加热烈的一个契机,而政治上的关系就算有了短时间的缓和,但从长远来看和结合安倍的背景来看,政治上的低谷依然会持续和存在。
这次唯一的任务对于双方来说就是做面子


她使我这个老愤青心如止水。如果日本的青年都像她这样,如果日本的政客有这个小姑娘一半的胸襟和远见,中国就可以以一种包容心来面对未来,就可以一衣带水。毕竟,如果一个潜在的对手变成一个潜在的伙伴,对中国的长远发展将有百利而无一害。
如果福原爱是安倍晋三的女儿,中日外交格局也许会彻底改变。
我建议胡主席把福原爱安排到招待安倍的国宴中,就像布什欢迎胡锦涛时把关颖珊放在国宴席中的两国元首的中间。


これは妙案!
さすが福原愛ちゃん人気があります。


我不想看到历史重演,虽然我没有经历过那样的年代,但是先辈们的鲜血告诉了我要珍惜现在的一切.珍惜现在的和平,
希望中日真的可以睦邻友好,和平共处,历史我们改变不了,如果我们一直怀着仇恨来生活,我想幸福永远不会向我们走近


そうですね、そうだと思います。

以上は「安倍访华」で検索して出てきたブログ。
安倍さんは、北京でこんなことも言ってました。


今天离开东京的时候担心北京是否会下雨,可能是贵方周到安排的缘故,今天有了一个好天气,我能够参加这么隆重的欢迎仪式。有一句话叫做“雨过天晴”,我相信两国关系的未来一定要天晴。我愿进一步加强首脑之间的对话。

東京を出発するとき、北京は雨だと懸念していた。しかし皆さんが上手く手配してくれたためか、今日はとても良い天気の中で、素晴らしい歓迎式典に参加できます。「雨のち晴れ」という言葉がありますが、両国の関係も必ず晴れとなると信じています。首脳間の対話をさらに進めていくことが私の望みです。


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by chinafish | 2006-10-08 23:45 | 中国博客で学ぶ中国語

嫦娥奔月

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寂寞嫦娥舒广袖,万里长空且为忠魂舞 

(毛泽东诗词・蝶恋花より)



今日は8月15日、といっても旧暦のだが、中秋節だ。

中国では、月を見ながら月餅を食べ、家族親族の円満を願う。
日本では、満月を見るとウサギを想うが、中国では、伝説の美女
「嫦娥(cháng é)」が、ウサギと一緒に月に住んでいることになっている。

嫦娥は、不老不死・美女のシンボルでもあり、神話の英雄・弓の名人「羿(yì)」の妻だった。
大昔、太陽が10個のぼり人々は旱魃に苦しんだ。そこで弓の名人 羿は崑崙山から弓を引き、一つを残してすべて太陽を打ち落とし人々を救ったそうだ。

羿は人々から敬われ、ある日仙人の母娘に不老不死の秘薬を貰った。羿は独りだけこの薬を飲むわけにはいかないと考え、妻の嫦娥に預けた。

ある日、羿の留守中、弟子が嫦娥の部屋にやってきて、不老不死の薬を渡すよう剣で脅した。嫦娥はとっさに秘薬を飲み干したところ、天に舞い上がり月の仙女になってしまった。それを知った人々は、満月の晩にお菓子や果物をお供えし、嫦娥を慰め幸せを願った。

これが、中秋節の始まりらしい。

中秋節の頃になると、中国の商店街には嫦娥らしき美女の看板が飾ってあったりする。しかし、「嫦娥奔月」は、数ある中秋伝説の一つにすぎない。また、嫦娥は羿を裏切ってこっそり秘薬を飲んだため、罰として月に追放され、なんとヒキガエルに変えられてしまったというバージョンもあり、魯迅は小説「奔月」で、嫦娥に裏切られる英雄の悲しみを描いた。

しかし、月に追放されカエルになった嫦娥の孤独を想うよりも、やはり輝く満月にやさしい嫦娥の美しい顔を重ねて楽しむ方が良いはずだ。


嫦娥奔月

空格相传,远古时候有一年,天上出现了十个太阳,直烤得大地冒烟,海水枯干,老百姓眼看无法再生活去。
空格这件事惊动了一个名叫后羿的英雄,他登上昆仑山顶,运足神力,拉开神弓,一气射下九个多余的太阳。
空格后羿立下盖世神功,受到百姓 的尊敬和爱戴,不少志士慕名前来投师学艺。奸诈刁钻、心术不正的蓬蒙也混了进来。
空格不久,后羿娶了个美丽善良的 妻子,名叫嫦娥。后羿除传艺狩猎外,终日和妻子在一起,人们都羡慕这对郎才女貌的恩爱夫妻。
空格一天,后羿到昆仑山访友求道,巧遇由此经过的王母娘娘,便向王母求得一包不死药。据说,服下此药,能即刻升天成仙。
空格然而,后羿舍不得撇下妻子,只好暂时把不死药交给嫦娥珍藏。嫦娥将药藏进梳妆台的百宝匣里,不料被蓬蒙看到了。
空格三天后,后羿率众徒外出狩猎,心怀鬼胎的蓬蒙假装生病,留了下来。
空格待后羿率众人走后不久,蓬蒙手持宝剑闯入内宅后院,威逼嫦娥交出不死药。
空格嫦娥知道自己不是蓬蒙的对手,危急之时她当机立断,转身打开百宝匣,拿出不死药一口吞了下去。
空格嫦娥吞下药,身子立时飘离地面、冲出窗口,向天上飞去。由于嫦娥牵挂着丈夫,便飞落到离人间最近的月亮上成了仙。
空格傍晚,后羿回到家,侍女们哭诉了白天发生的事。后羿既惊又怒,抽剑去杀恶徒,蓬蒙早逃走了。气得后羿捶胸顿足哇哇大叫。悲痛欲绝的后羿,仰望着夜空呼唤爱妻的名字。这时他惊奇地发现,今天的月亮格外皎洁明亮,而且有个晃动的身影酷似嫦娥。
空格后羿急忙派人到嫦娥喜爱的后花园里,摆上香案,放上她平时最爱吃的蜜食鲜果,遥祭在月宫里眷恋着自己的嫦娥。
空格百姓们闻知嫦娥奔月成仙的消息后,纷纷在月下摆设香案,向善良的嫦娥祈求吉祥平安。从此,中秋节拜月的风俗在民间传开了。



なお中国では初の月面探査衛星を送るプロジェクトがあるが、それを「嫦娥計画」と名付けているらしい。



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by chinafish | 2006-10-06 08:06 | 成句詩句