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中国を読む(3/100)-林則徐


堀川哲男 「林則徐」


「林則徐」は、1839年に皇帝の命を受け広州に赴き、イギリスのアヘン商人から大量のアヘンを没収して焼却、そのことがアヘン戦争を勃発させたことで歴史に名を残しています。

歴史の授業で学ぶのは、そうした簡単な事実だけですが、この本を読むと、林則徐は、
1)清廉潔白かつ優秀な官吏としての経歴を持っていたこと、
2)理不尽なイギリスの植民地主義に対し毅然と戦い、今でも「民族的英雄」として中国では高く評価されていること、
3)さらには、海外の進んだ知識を吸収しようとした合理的な近代精紳の持ち主であったこと
がわかります。

林則徐は、1785年(乾隆50年)福建省の貧しい教師の家に生まれ、20歳で科挙の第一段階である「郷試」に、27歳で最終試験に合格し進士になったというのですから、大変なエリートかつ努力家で有ったようです。

その後は、江蘇省の地方官吏として水利事業に才能を発揮します。
賄賂を受け取らず、正義感を持って公正な裁きを続けたため、農民から「林青天」と呼ばれ賞賛されたとか。「青天」は公正で有能な官吏を指すそうです。

順調に出世を重ね、湖北湖南の総督に就任、こうして50歳頃までの林則徐は、優秀なエリート官僚として、順調かつ多忙な日々を送ったようです。儒教の理想に基づいた清廉潔白な政治理念を「経世済民」というそうですが、中国の官僚にもこんな真面目な人がいたんですね。

このあと、時の皇帝「道光帝」の信頼を得て、1839年に皇帝の勅使として広州にアヘン取締りのため派遣され、順調だった人生の一大転機を迎えます。

アヘン厳禁派として、清廉潔白かつ厳格な人柄を遺憾なく発揮、なおかつ用意周到な策略をめぐらし、イギリスのアヘン商人から一箱約60キロのアヘンを2万箱以上没収、さらに23日間かけてこれを焼却しました。

実際は焼却といっても効率的な処理方法として、石灰とともに海へ投棄したそうです。

その一方でイギリス軍との軍事衝突に備え傭兵を準備したり海外から最新の大砲を購入したりして軍備を強化、その後の戦闘でもイギリス軍を撃退しています。

そこでイギリス軍は強固な守りの広州をさけ天津へ北上、驚いた道光帝は林則徐を罷免し、妥協派の官吏を赴任させたため、清軍はなし崩しとなり、イギリス軍の勝利と香港割譲、交易開放を定めた南京条約の締結となり、清の半植民地化が始まっていきます。

林則徐は、広州に赴任した際に西洋の優越性をいち早く痛感、対外情報を入手するために、西洋の新聞書籍の購入、通訳やスパイの雇用など、西洋の知識を導入し、それを持って西洋に対抗する「洋務論」的な考えの先駆者でした。

このときの林則徐が訳した資料をもとに、友人の魏源が「海国図志」をまとめ、それが鎖国下の日本にも日清戦争の敗北とともに伝わり、その考えは明治維新に大きく影響を与えたそうです。

罷免された林則徐は、新疆ウイグルへ左遷させられました。そこでも真面目に仕事に取り組み、回族の平定、農地の開拓に手腕を発揮したとか。

その後一旦は引退しましたが、「太平天国の乱」を治める大臣に要請され、任に赴く途中66歳でこの世を去りました。

堀川哲男の「林則徐」には細かなエピソードが満載、歴史家としては筆が滑ったような部分が非常に面白く、「林則徐」という一人の官僚の生涯が、科挙制度や清朝末期における政治的駆け引き、アヘン戦争の経緯や「太平天国の乱」、はては明治維新までつながっていく時代の流れとして捉えられ、読み応え十分でした。



by chinafish | 2007-01-15 07:22 | 中国を読む